2005年08月17日
眠れない日々
父親の記憶と共に
封印されていた(ちょっぴりかっこいい言い方だが)
記憶がよみがえってきた。
記憶がよみがえると言うことは
つらく悲しい思い出をもう一度たどると言うことだ
父親の記憶は良い思い出しかなかった
悲しい記憶が一緒によみがえってきた
涙が止まらない
怖くて仕方がない
毎晩泣いていた時期を思い出した
「どちらかを選ぶのをちゃんというのよ」
友人の為に家庭裁判所に行く機会が昨年あった。
そのとき、一度来たことがある事を思い出した。
そう、調停員にあって、どちらと一緒に住みたいかを聞かれたのかもしれない
かもしれないと言うのは
断片的な記憶で
夢と現実がわからなくなっているからだ
でも きっと夢ではなかったんだと思う。
9才から11歳の時の記憶が曖昧で
はっきりしない。
このときが一番つらかったときなんだと自覚したのは
カウンセリングと
最近になってからだ
「結婚したら、絶対に離婚しない。
もう二度とあんな悲しい思いを自分の子どもにはさせたくない」
と思ったからだ。
でも月日が「もうあんな~」を消しやっていた
つらい思いがあったことなどを忘れていた
記憶の掘り起こし作業は本当に疲れる
そして眠れないのだ
正確には
涙しながら寝ていたころの気持ちを
思い出すことがつらいから
怖いと言うより
その気持ちが耐え難い、苦しさなので
つらくて眠れないのだ
カウンセリングで
初めて つらかったのだと気がついた
「そんなひどく悲しい思いをしたのだ」と言われて
捨てられたんだ と言う思いを持ったことを知った。でも自覚はしていない
それに伴う 記憶が次々と蘇り
つらい
つらい
父親に会えるかもしれないと言う期待の中で
不安と苦しみが交差している
まだ、弟にはいっていない
ていうか前に弟は6才だったけど
父親の記憶がないといっていた
彼にとっても非常につらかったのだろう
全て記憶がなくなると言うことは
それだけの苦しさだし
私よりも小さかったのだから
仕方ないことなのだろう
馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないけど
「名前が変わったら、もう逢えないね」
と言われた
私は何にもしてないのに
子どもの時 誰にも本当の気持ちを言えなかった
ただただ泣いていただけだった
今思い出すこと
「私をおいていかないで」って事だけだ
私の母親は統合失調症だ
発病のきっかけは離婚が原因か 発病で離婚になったのかは
よくわからない
だけど 「私がいなくちゃ」って思った
そして、何も欲求しなくなった。
ずっと抑圧していたんだナーーってわかった
中学・高校時代はスチューデントアパシーだった
今思えば理由もわかる。
疲れる作業だ。。。
弟を採られまいとした
父親と私との間に弟が両腕をもたれて
引っ張りこされていた
「私たちものじゃないわ」
そういったら父が手を離した
「うそつき!!」ってどなった
私の中にずっと残る罪悪感
父親につけば お金の心配があるかも
裕福な祖父につけば将来は?
弟の方がいいの?私は嫌いなの?
弟にもずっとこの件に関しては申し訳ないと思ってきた
だから 弟の不祥事は全て自分が動いた
今 弟は自立できない子だ
間違っていたのだろうか?
この24年間は 何?
昨年は母親名義の事業が傾いていたので
1日500円以下の生活をしていた
自分のバイトは学費と事業に入れた
全てが馬鹿馬鹿しくなってきて
楽になりたいと思う
ついひもをかけるところを探すけど
残された仕事の整理をしてからと思ってしまうのが
正確かな 自殺にはほど遠いようだ
でも心が疲れているので
ゆっくり休みたい
投稿者 HARURU : 2005年08月17日 02:43
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コメント
げんき~?
わたしもブログやろうかなと思いながら,
日々平凡な毎日なもので,きっと続かないんだろうなって思ったりもしています。
ホームページのほうも,開店休業中です。ハハ
人は皆,
同じだけ苦労してますから・・・と,自分に言い聞かせています。
投稿者 まぶる : 2005年08月20日 16:53
追伸:ブログ始めました。時代はブログだなぁ。
投稿者 まぶる : 2005年08月22日 18:56
復活!! ご心配おかけしました。
目下 再上昇中です
投稿者 HARURU : 2005年08月31日 10:50