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2005年08月25日
あはは
漸く眠れるようになった
父と再会して何が眠れなくなったかの原因は
勝手に父親ずらして喜んでいる彼が
許せないと言うより
振り回されてつかれたと言うのが本当のところ
苦労したことがわかるという割に
話してくれと言う割に
人の話聞いてない・・・・
と言う現実が自分の中で混乱していたようだ
昨日電話でがーーがーー 言い合ったら少し楽になった
彼はその後も元気だろう(笑)
年寄りって人のこと聞かない(笑)
66才の父はとても元気だけど
やっぱり年食った
父と毎日メールをしているが
私の英語の勉強のため
ほとんどが英文でやってくる。
そのおかげか
自分で英作文するのが苦でなくなってきた
これは正直ありがたい・・・
だいたい この私に
ちょー前向きな私に
新たな目標を持てと言う 彼は
ある意味危険な人だ
これ以上私を攻撃的に さらに積極的に活動させたら
私は死んでしまう!!
心臓が休みたくなるのもその理由だろう(笑)
でも今回 一番私を支えてくれたのは
やはり 「彼」だ
まーー 彼の場合専門家でもあるわけだが
夜中に電話しても根気よく 永遠に
話を聞いてくれた
ノー天気なだんなは
明日仕事あるしもう眠い
あえて良かったじゃないか
と言って終わり もちろん2時間以上つきあってもらったが
そんな程度のストレスではなかった
人間を比べちゃいけないし
そういうことをしちゃいけないことも
十分承知の上だが
やっぱり 「彼」の方が 私の精神的な支えにはなる
精神的な負担になっている旦那よりずっとマシ
父に言わせると 精神年齢が高すぎて
HARURUが惚れるような男はまずいない
(ココまでは良いだろう)
だから俺が 恋人だ
(問題をすり替えないで・・・~)
惚れるような男なのか?その男は?
いや 惚れるという感情より
かわいいし頼りになるのだ
それじゃいかんのか?
それじゃいかんらしい・・・
男は弱くなったからナーー
(と言うあんたもよわいって・・・)
って私は言いたいことも言わず
彼が喜んでいる感情をずーーーーーと聞いていたし
彼の成功した会社に連れられていって
へーーすごいねーー と言わされたりとまーー
くそ忙しい中さんざん振り回された
今度は振り回してやるーーー と
まず車を買ってくれ!!と要求した
だって 何度説明しても わびたい一新で
話してくれ 困ってることないか? くるま無いなら買ってやろうか?
の調子
欲しいものは自分で買うから 人に買ってもらうのすきじゃない
おまえは突っ張っている
さすが俺の娘
(だからーー)
のちょうしなので素直に甘えてあげた方が
彼にとっては償いを実行できると思っているようなので
そうさせてあげよう
年寄りの相手はつかれる
多分見栄っ張りの彼のことだから
ある程度の車は用意してくれるだろうが
きっと 買いに行くときには
またさんざん連れ回されることを
覚悟しなくてはいけない
ホントに嵐のような一週間だった
おかげで 仕事が膨大にたまってしまった
つかれた
投稿者 HARURU : 02:50 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月23日
父との再会
ドラマのような劇的な再会を果たした。
彼は
「さすが僕の遺伝子を引き継いで こんなに立派に成長していた」と
絶賛し、お互いに再会に喜びむせび泣いた
が
そこまでは良かった。
彼の思いは
「どうして別れなくてはいけなくなったのか。苦労させてごめんなさい
でも その理由をわかって欲しい」と言う事であった
私は、全ては、誤解から始まる犠牲だったのだと彼に説明した
そして 再会の翌日
くるべきものがやってきた
今年の5月より、睡眠不足になると除脈性の不整脈が出るのだ
今回はホントにひどく 朝目覚めと共に
苦しくて苦しくて、叔母に連絡し、病院に言った方がいいと言われて
友人の救命救急センターに電話して
救急車を呼んだ
救急車のサイレント共に 除脈性 不整脈は治まった
病院に着いた後も治まった
多量のアルコールと数日の睡眠不足による過労だった。
安静が必要だが眠れない
眠れない理由が理解できない
そこで、母が飲んでいた 抗不安剤を飲んだ
しかし、これもまたあまり効かない
今気がついたのだが 私の両親の離婚は
「誤解と犠牲」にすぎなかった
このために母は精神を病み、祖父の経済は破綻し
、父とは絶縁になり、親戚にはやっかいな子として
扱われ、だれもトクらしい徳
はしていない。
そして、私の記憶は その当時の2年間は完全に封印されていた。
弟など8才であったにもかかわらず
父親の事は全く憶えていないと言う。
一種のPTSD(心的外傷トラウマ)だったのだ
そして、感情失禁が止まらず
仕事どころではなくなった
再会して喜んでいるのは父親だけ
私は再会はうれしいが、過去のつらい記憶を
短期間で呼び起こす作業が必要になり
セルフカウンセリングは限界となっていた
抗不安剤を3錠飲んでも効かないぐらい
睡眠が浅く 感情失禁がひどい
カウンセリングにも行きたいが
仕事の都合上
全くと言っていいほどその時間はもてない
仕方なく 彼にお願いして
その日の夜は一緒に寝てもらった
12時に寝て薬が切れる3時過ぎには目が覚めてしまった
彼氏がすぐおきてくれて
「私に大丈夫だよ、多大なストレスがかかったいるんだからね
大丈夫大丈夫」と
ゆっくりを声をかけてくれた
そこで漸く自分の押し殺していた感情をはき出すことが出来た
セルフカウンセリングは限界だと感じ
精神科に行って 処方をしてもらうことが必要だと考えた
彼氏に付き添ってもらい
仕事を何とか無事に終えてから
受診した
とても良い先生で
「それは本当に大変な事ね。でも今日は新患さんがいっぱいでごめんなさいね。
十分にお話しできないの。・・・・
そうなのぉ?かれ精神保健福祉士なの? あなたも看護師なの?
彼を呼んで・・・・
十分に話を聞いてあげてね。(彼氏に対して)
まずはゆっくり寝ることが必要だから
デパス(抗不安剤) レンドルミン(睡眠導入剤)とをのんでみて
それでも眠れなかったらサイレース(中間型睡眠薬)をのんでね
と処方してくれた
そして その薬の内容を聞いて
自分が相当のストレスがかかっていたことに初めて気がついた
「私って相当ストレス耐性が強かったんだ」
バイト先で
「あなたは、相当気丈な人ですね」と言われた理由さえわからなかった
クリティカルケアで学んだクライシス理論や リエゾン精神看護学、からも
自分の精神状態が把握できていたので
眠剤をもらえば済むと思っていたが
サイレースが処方されたときには驚きだった
今日は久しぶりに6時間近く眠れた
途中目が覚めて 彼に電話をしたが
何とか再び眠れた
つい、いつも旦那だったら
こんな風に私を支えてくれることはないだろうなと感じてしまう
父親はと言うと
私が恨んでいないことや
立派に成長したことに感銘し
喜び
自分の会社を見せたり
行きつけのお店に連れて行ったり
この3日足らずでさんざん連れ回してくれた
私はそれなりにうれしかったが
同様が激しく
また、彼女の新しい奥さんは
私との会うと言う状況には出てこれず
待っていたがこなかった
父親は喜び勇んでいたが
彼の奥さんはそうではないようだった
きっと私に父親を取られてしまったと思っているかもしれない
そういう思いを含めて
私の精神状態が非常に疲弊しているのと
奥さんとの関係は私が急に来たことでどうなっているのかという
状況を書いたら
彼は悩み泣き出していた
ごめんなさいって
僕も君の気持ちを知って 混乱させてごめんなさい
と言っていた
私の中では 過去の延長であり 過去に起こった出来事を
許すことが出来ない人とはスタンスが違うと言うことを書いた
その後 彼からの電話は謝罪と眠れないことを
話していた
私以上に苦しみ続けてきたのだから
十分に償いは終わっていることを告げ
偏見を持たず精神科にかかり
睡眠薬を含む処方をしてもらうよう
メールを書いた
そうそう、彼とのここ数日は
私の英語の勉強もあって全て英文で行っていた
もちろん私は日本語で帰していたけど
楽しいけど今は中断中
心の疲れがとれたらまた再会したい
投稿者 HARURU : 06:16 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月17日
眠れない日々
父親の記憶と共に
封印されていた(ちょっぴりかっこいい言い方だが)
記憶がよみがえってきた。
記憶がよみがえると言うことは
つらく悲しい思い出をもう一度たどると言うことだ
父親の記憶は良い思い出しかなかった
悲しい記憶が一緒によみがえってきた
涙が止まらない
怖くて仕方がない
毎晩泣いていた時期を思い出した
「どちらかを選ぶのをちゃんというのよ」
友人の為に家庭裁判所に行く機会が昨年あった。
そのとき、一度来たことがある事を思い出した。
そう、調停員にあって、どちらと一緒に住みたいかを聞かれたのかもしれない
かもしれないと言うのは
断片的な記憶で
夢と現実がわからなくなっているからだ
でも きっと夢ではなかったんだと思う。
9才から11歳の時の記憶が曖昧で
はっきりしない。
このときが一番つらかったときなんだと自覚したのは
カウンセリングと
最近になってからだ
「結婚したら、絶対に離婚しない。
もう二度とあんな悲しい思いを自分の子どもにはさせたくない」
と思ったからだ。
でも月日が「もうあんな~」を消しやっていた
つらい思いがあったことなどを忘れていた
記憶の掘り起こし作業は本当に疲れる
そして眠れないのだ
正確には
涙しながら寝ていたころの気持ちを
思い出すことがつらいから
怖いと言うより
その気持ちが耐え難い、苦しさなので
つらくて眠れないのだ
カウンセリングで
初めて つらかったのだと気がついた
「そんなひどく悲しい思いをしたのだ」と言われて
捨てられたんだ と言う思いを持ったことを知った。でも自覚はしていない
それに伴う 記憶が次々と蘇り
つらい
つらい
父親に会えるかもしれないと言う期待の中で
不安と苦しみが交差している
まだ、弟にはいっていない
ていうか前に弟は6才だったけど
父親の記憶がないといっていた
彼にとっても非常につらかったのだろう
全て記憶がなくなると言うことは
それだけの苦しさだし
私よりも小さかったのだから
仕方ないことなのだろう
馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないけど
「名前が変わったら、もう逢えないね」
と言われた
私は何にもしてないのに
子どもの時 誰にも本当の気持ちを言えなかった
ただただ泣いていただけだった
今思い出すこと
「私をおいていかないで」って事だけだ
私の母親は統合失調症だ
発病のきっかけは離婚が原因か 発病で離婚になったのかは
よくわからない
だけど 「私がいなくちゃ」って思った
そして、何も欲求しなくなった。
ずっと抑圧していたんだナーーってわかった
中学・高校時代はスチューデントアパシーだった
今思えば理由もわかる。
疲れる作業だ。。。
弟を採られまいとした
父親と私との間に弟が両腕をもたれて
引っ張りこされていた
「私たちものじゃないわ」
そういったら父が手を離した
「うそつき!!」ってどなった
私の中にずっと残る罪悪感
父親につけば お金の心配があるかも
裕福な祖父につけば将来は?
弟の方がいいの?私は嫌いなの?
弟にもずっとこの件に関しては申し訳ないと思ってきた
だから 弟の不祥事は全て自分が動いた
今 弟は自立できない子だ
間違っていたのだろうか?
この24年間は 何?
昨年は母親名義の事業が傾いていたので
1日500円以下の生活をしていた
自分のバイトは学費と事業に入れた
全てが馬鹿馬鹿しくなってきて
楽になりたいと思う
ついひもをかけるところを探すけど
残された仕事の整理をしてからと思ってしまうのが
正確かな 自殺にはほど遠いようだ
でも心が疲れているので
ゆっくり休みたい
投稿者 HARURU : 02:43 | コメント (3) | トラックバック
2005年08月15日
すこし
終戦記念日でもある今日
戦後60周年関連の番組が 昨年よりは多いかな
捨てられた子どもの話とかあると
しんみりしてしまうね
4連休だったので
2日間は 急性咽頭炎で寝ていた
残りは昨日と今日
泣きはらしたせいで
瞼が開かなかったね
試験結果はホームページで確認していて
合格だった。
試験の内容からしたら
私にはお茶の子さいさいの内容だったから
受かって当然
問題は面接と転々とした職場にかんしてだろうなと思っていた
名簿搭載にて どの程度の番号かは書いてなかった
それが知りたいんだけどなーー
通知がこないと思っていたら
旦那の家のドアのポストに不在通知が入っていたらしい
早速確認するとあったのでとりに言った
父親の電話番号に電話したがつながらないため
手紙を送った。
ドキドキ
就職試験よりもドキドキしているね
ていうか 就職試験なめすぎかな(笑)
投稿者 HARURU : 22:14 | コメント (0) | トラックバック
Confusion
お盆まっただ中
離婚して 24年間音信不通であった 父親からの頼りが舞い込んだ
書いた日付から7年半の時を隔てて
結婚したお祝いをしたいという趣旨の内容が
漸く私の元に届いた
捨てられた思いが強かったので
うれしい反面困惑した気持ちと
届けてきてくれた人の思いを感じたのと
これからの自分の人生が
大きく変わることに不安を抱かずにはいられない
もとい相手が 不幸のまっただ中にいるのではなく
成功して富を得ているので
経済的に負担を強いられるとは思わないので
逆に相続問題で もめないかという心配はあっても
介護や借金で苦労することはなさそうだ・・・
とはいえ 涙が止まらないのは何故だろうか
高いお金を払ってカウンセリングに通って
整理がついた感情を呼び起こすのは
非常に疲れる
ゆっくり眠りたい
けど 頭はぐるぐる回っている
とりあえず 会うだけ会ってみよう
と思って手紙を書いてみた
親友は
「心のとっかかりが消えるわけだから
きっといい方に傾くよ。私だったら恨み辛みも込めて
会いに行くよ」
と言ってくれた
24年ぶり 自問自答しながら
気がついたのは
もう一度 「捨てられないだろうか」
周りの聖夜今後の不安よりも
それが一番怖いのだろう と言うことが
日記を書きながらわかった。
「今度何かあったときに自分で対処できるように」
カウンセリングの先生が言った言葉を思い出し
自分を奮い立たせよう
でもやっぱり怖いね