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2005年03月17日

激動

修士論文発表会 1年生は 聞きに行くつもりだった。

1週間前に急遽呼び出された。
看護研究担当の教授から

当日の座長・ライトなどの係りを決めて欲しいと
という

抄録は、2日前締め切りという
発表者と座長の打ち合わせも出来ないと言う

仕方ないので当日に9時にした。
したら2年生は集まれないと言う

11時にした。

1日前になって パワーポイントが送られてきた??

なんでやねん。
バージョンは?
そんなの出来る分けないやん

怒り心頭
集まれないと言ったのはそっちでないか

間に挟まれた人間数名
もちろん私もその一人

発表会当日口論となる。
「私は9時からきてご飯も食べてないのよ」という がんのCNS

反論するのも馬鹿馬鹿しくなって やめたが
私は当直で
5時からひるまで食ってないちゅうに

大体もっと早くに作ってこればいいじゃんってかんじ

発表会は元々1ヶ月前に知らされていた。
準備は聞いてないだけで
自分たちは昨年準備していたのなら
なおさら出来るはずなのに が こちらの言い分

むこうは
昨年準備したんだから
「そつなく発表会を聞かせていただける準備をするのが当たり前」らしい

馬鹿馬鹿しくてむかついた。
おまけに聞いていても ? の発表。
ひどいのは考察と結論無し・・・


あなた方外で発表したこと無い?もしかして・・

発表の仕方だけならともかく内容は12人にて
1人しかまともな物はなかった。

学部はふせるが
文献レビューで終わっているケースも

なんじゃそれ!!

そして
言われたのが
「聞く態度が悪い」

子どもじゃないんだから
静かに聞いて座ってるだけ増しだろが・・・


怒りにかまけて
机をたたこうとしたらめがねが見えなくて
めがねをぶったたいてしまった。

ちなみに私は右0.03左0.05のど近眼
レンズは薄くするために 上から2番目のランクにて
1枚2万はする・・・ 泣

久しぶりにむかついたが
あまりのレベルの低さにびっくり
「この時期になって概念枠組みも出来ていない生徒がいるらしい」

と教授がささやく12月中旬

おそろしや・・・

「誰でも入学させればいいってモンじゃないのよ」

私はそうはなりたくない・・・

投稿者 マスター : 2005年03月17日 13:58

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コメント

看護の教員の質は今後の過大だと思います。
うちの大学は倫理委員会に大学院の1期生は
かけずに修士論文を書かせていました。
こういうのっていいの?

投稿者 まい : 2005年09月05日 10:49

まいさん こんにちは

そうですか
今思えば倫理審査は一つの「印籠」です

倫理審査が通れば
大学のお墨付き
他の施設の倫理審査も
手続きは面倒でもパスします。

どうぞやって下さい。とまー

優秀たる病院のTOPは喜んで準備をしてくれます。
さらに、
そこの病院がランク2ぐらいであれば
尚ぐっと

「あなたの病院でうちの学生が修論を書くと言うことは
すばらしく良い病院」と
ある意味別の評価が下るわけです。

だって、自分の附属病院の方が絶対に
何かにつけて楽なはずです。
でも研究が出来る施設という事は、研究を補助し
その能力があるという事を示すことになりますよね。

私は、最初は、アカハラだーーと思っていましたが
介入研究である手前
倫理審査は無くてならない物です。

大学の審査の他に
提供施設の倫理審査もついこないだパスしました
それにはやはり
研究デザインを含めた 患者の倫理に関する
質問を浴びせられます。
それと、助成金の代わりに
助成物資を企業にレンタルする手前

企業にプレゼンテーションもしています。
助成物資の提供は2社ですが

資料やその他のアイデアをもらうためには
プレゼンテーション能力は欠かせません。
逆にそれが 研究者として
これから大成できるかになります。

システム的な問題はともかく
倫理審査なしで書かせることは
冒険に近いと思います。

逆に卒業後、科学研究費助成金をもらう
海外雑誌に投稿するとなる場合
相当苦労することになります。

学位だけあっても・・・ と言う点を考えると
倫理審査はあるべきものであり
他職種に攻撃されればされるほど
後からの成長を考えれば
我慢の時です。

今だからわかることみたいです。
大学院は閉鎖的であり
誰も何も教えてくれませんよね。逆に
誰かに教わらなくてはいけない人は
入学できないと言うことです。

おっしゃるとおり
看護教員の質は今後の課題であり
学歴云々の前に
ゆとり教育で如何に学習レベルが低下していることを
考えたら
質の良い教員を育てることが先決だと思います。

予備校の教員としても感じます
自分としては熱意を持って当たっています
(インチキくさいとは思ってますけど)

ましてや修士で質的研究法をやらせることは
もってのほかです。
うちで 研究法を教えている
アメリカで質の研究者について学んだ先生は
元々量的研究のみの人でした。

「量無くして質はない。量を勉強したからこそ
質がいる。そのためには、今のうちに
哲学、社会学などの基礎的な本は読みこなしなさい」

と言っていました。

私は彼女の意見をそのまま尊重して
今があります。
良い研究者とは思わないですが
少なくとも研究のステップは
非常によくわかりました。
基礎は学べるうちにしか学べません。
倫理審査はあるべきです。

うちの場合、倫理審査前の研究デザインや
概念枠組みのフリーディスカッションを
学部全体で出来なかったのが
残念だったよね。と話しています。

ただ、時間はもうけられませんでしたが
私は、専攻は一人しかいませんし
他の専攻の学生と会うたびに
そのような討論はしてきました。

学校側が用意しない時には
学生側の姿勢も大切だと思います。
社会人を経験していますからね。

でも教授である人の多くは
社会適応性に欠けてる人が多く
そういった「学習しやすい環境を」
という姿勢を持っている人は
片手以内にはいるのが実情ですね。

投稿者 HARURU : 2005年09月05日 11:29

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